こんにちは薬剤師の赤羽です。前回のブログで検討した薬剤師の存在意義の続きです。
医療とはなんなのか?
前回のブログでは合理性や効率性を求める限り、薬剤師の存在意義は低下していくということを書きました。それは馬車の御者が自動車の出現により消えて行ったり、タイピストがワープロの普及で消えて行ったことと同じです。薬剤師がどう言おうと、世間はそうゆう目で薬剤師を見ています。それは薬剤師という職能に対して資本主義の思想が及んでいることが原因です。現代の営利企業にとって最重要なのは成長と利益です。薬局に勤める薬剤師の一人一人が社会的責任の履行を大事に考えていたとしても、資本主義のルールの方が優先してしまいます。これは経営者が悪いというわけではなく、資本主義というのはそうゆうシステムだからしょうがないのです(1)。
医療はみんなの大事な共通資本
しかし、資本主義の考え方を適応することで人間の幸福が損なわれる領域が確実に存在します。それは教育、医療、文化、自然などの領域です。この領域に資本主義の「合理化」「効率化」「自由」の考え方を過剰に取り入れればGDPは成長するかもしれませんが人間の幸福は確実に低下します(2)。皆さんは医療者や学校の先生に「合理的」で「効率的」な対応をしてもらいたいですか?それとも一人の人間として尊重して対応して欲しいですか?もしあなたが「合理性や効率」を正義だと考え、それを望むならAIやロボットの方がよっぽど上手に対応できるでしょう。「合理的で効率的」なコミュニケーションが正義ではない領域も存在するのです。経済の目的を思い出してみましょう。人間の幸福を追求するための手段だったはずです。今ではそれが逆転して経済的成長が目的になり、人間の幸福はそのために消費されています。すなわち、今の世界では経済によって幸福が粉砕されています。
薬局はどうか?
薬剤師もいかに少ない薬剤師で多くの処方箋を処理するかが正義になりがちです。そんなことが一番なら無くなった方がいい職業かもしれません。薬剤師とのコミニュケーションを通じて一人でも幸福になることができるなら、そこに薬剤師の存在意義があるはずです。
参考文献
1)現代経済学の直感的方法(長沼伸一郎)講談社 p188 奇妙なポンプ
2)社会的共通資本(宇沢弘文)岩波新書 p2 ゆたかな社会とは