漢方は滅びかけたのか?

こんにちは薬剤師の赤羽です 。今日は漢方薬の近代史を見てみたいと思います。はるか昔から日本にずっと存在した漢方薬ですが、一時、歴史の舞台からのその姿を消そうとしていた時がありました。今回はその歴史を掘り下げてみたいと思います。
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隆盛を誇り、衰退の序章が始まった江戸時代

江戸時代は漢方の社会的な地位が非常に高い時代でした。西洋医学は蘭学として知られていましたが依然として医学の主役は漢方でした。浅田宗伯(1)、華岡青洲(2)などの名だたる名医達が活躍した時代です。衰退が始まったきっかけは黒船来航(1853年)と思われます(3)。かつては強力な武力を背景に鎖国を維持できた日本ですが、江戸末期に海外情勢は急変します。イギリス産業革命から始まる重工業の発程により、欧米列強は強大な軍事力を得たのです(4)。この時に不平等条約という日本にとって極めて不利な通商条約をアメリカと結ぶことになります(5)。

富国強兵と医制

黒船来航によって、強制的に鎖国を解除された日本は、欧米列強と対等な交渉力をえて不利な状況を覆すために急速な西洋化を推し進めました。その代表例が富岡製糸場です(6)。「富国強兵」のスローガンのもと日本の工業力は急激に発展し、日清戦争や日露戦争に突入していくのです。明治政府は西洋化を医学の世界でも推し進めました。これが漢方衰退の直接の原因となる「医制発布」です(7)。この法令によって、西洋医学だけが正式な医学と定められてしまったのです。これを機に凡そ100年間の長きにわたり、漢方が医学の表舞台から姿を消すことになるのです。この間に漢方に変わって、民間薬が国民の間に広く浸透していくことになるのです。有名な民間薬としては「正露丸」、「養命酒」、「百草丸」、「太田胃散」、「浅田飴」等が知られています。

漢方の復活

漢方がようやく正式な医学として復活を遂げたのは、1976年(昭和51年)です。この年から、漢方が保険で処方されるようになりました。これは大塚敬節、奥田謙蔵、細野史郎、矢数道明らの漢方復興運動による成果です(2)。便秘、頭痛、めまい、などの身近な症状では漢方薬が西洋薬以上に有益な場合が多々あります。この確かな効果に政府も漢方の地位復活を認めざるを得なかったのでしょう。

漢方と西洋薬の共存

漢方薬、西洋薬に上下はなくどちらも科学的で対等の関係です。この二つを上手く併用することで効果的な医療が実現すると思います。日本は1人の医師が西洋薬と漢方薬の両方を処方できる幸運な国です。韓国などでは漢方薬、西洋薬を処方できる資格が別なので其々の医師から処方を受ける必要があります(8)。もし、なかなか良くならない症状に悩んでいるようならかかりつけのお医者さんと相談して漢方を試すことをお勧めいたします。

参考文献

1)ツムラメディカルトゥデイ http://medical.radionikkei.jp/tsumura/final/pdf/101124.pdf
2)ツムラホームページ https://www.tsumura.co.jp/kampo/history/05.html
3)Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/黒船来航
4)世界史とつなげて学べ 超日本史 角川
5)Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/日米修好通商条約
6)富岡市ホームページ http://www.silkmill.iihana.com/role.php
7)医制発布 https://www.tsumura.co.jp/kampo/history/06.html
8)Wikipedia?https://ja.wikipedia.org/wiki/韓医師

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