こんにちは薬剤師の赤羽です。今回は我々がもつ正義が絶対普遍なのか検討したいと思います。
我々にとっての正義
皆さんにとっての正義はどんなものがありますか?一般的には以下のような正義がありますね。
・人に迷惑をかけてはいけない
・学歴が高い人ほど人として優れている
・自分のことは自分で決める
・最後まで責任をもつ
・時間を守らない人はクズ
・給料が高い人の方が人として優れている
・働かない人はクズ
・人にすぐ頼る人はクズ
・多様性は正義
・グローバル化は正義
・成長は文句なしに良いこと
・会社は大きい方が信用できる
・個性的であることは素晴らしい
・男女平等
・人種差別をする人は人間のクズ
・喫煙者はクズ
・健康しないことは自由
・LGBTは容認するべき
などなど・・・
上記のようなことを絶対普遍の正義だと思っている人も多いと思います。そのような人たちは歴史上の現代とは異なる正義について前時代的で有害だと思っているのでしょう。例えば、男女差別、人種差別などは「昔の人は愚かである」がゆえの誤った正義感であると思っているのでしょう。このような歴史観は進歩史観(1)と言われるものです。それに対して政治体制や思想すなわち「正義」は循環するという思想もあります。それは政体循環史観(2)と言われます。
ちょっと前の話
少し前の話です。1970年代にはタバコをオフィスで吸うのは当たり前でしたね。この時代は他にも今の正義と異なることが横行していました。
・喫煙は男らしい。紳士の嗜み
・女性は家を守るもの
・子育ては女性の仕事
・結婚しないなんて変わり者
・LGBTは容認しない
などなど
現代から見ればだいぶおかしな正義です。たった数十年でも正義の感覚は移ろうものです。
誰によって変えられているのか?
正義感の変遷はなぜ起こるのでしょうか?それはきっと集合意識の中から生まれるのでしょう。我々が形成する人間同士のネットワークから自然発生するものだと思います(3)。
ゆるせないこと
正義自体は人間のネットワークの中から自然に生まれたものですが、それを利用する人間がいます。その人達は私利私欲を満たすために正義を利用します。具体的には次のようなことです。
・人を見捨てる行為を「自己責任だからしょうがない」と言って正当化する
・人を見下すために学歴や給料の額を引き合いに出す
・勉強は正義だと言って、自分の私利私欲を子供に押し付ける親
・仕事ができない人を「使えない」と言って、人間性まで否定する
これらは正義を利用して私利私欲をみたしてるだけの、ゴミのような行為です。また、この正義の感覚に囚われて罪悪感を常に抱いている人達も多いと思います。どうしても遅刻してしまう、お酒がやめられない、などです。現代の正義の感覚に合わせることができないと社会は病人扱いしてきます。社会に病気と言われれば本人も本当にそのような気持ちになって、苦しいでしょう。
まとめ
我々が感じている倫理観、正義感は移ろいゆくもので絶対普遍ではありません。遅刻したって別に大丈夫な時代や場所もあるはずです。狭量な視野で世界を見ずに、大きな視野で世界を捉えることが健全です。