こんにちは薬剤師の赤羽です。前回のブログで正義は移ろいゆくものだと書きました。それでも普遍的で原始的な正義はあると思います。移ろいゆく正義を流動的正義と呼び、時代や場所の影響を受けない人類に普遍的な正義を原始的正義と呼びたいと思います。原始的正義の中には「人を傷つけてはいけない」、「自分だけがいい思いをしてはいけない」、「人の自由(所有権)を侵害してはいけない」があると思います。しかし、人は「大切なものを守るために」、「私利私欲のために」この原始的正義を破ろうとします。
どうやって原始的正義を破るのか?
人が原始的正義を破るのは非常に大きな苦痛を伴うので容易ではありません。しかし「大切なものを守るため(共同体主義)」、「私利私欲のため(自由主義)」には破る必要があります。
流動的正義を利用する
なんとしても原始的正義を破りたい人類には、それを可能にするシステムがあります。それは政治と宗教です。政治と宗教は流動的正義開発装置です。流動的正義があれば原始的正義を破ることができます。例えば「村を守るために、隣村を滅ぼす」などです。この場合は共同体を守るために原始的正義「人を傷つけてはいけない」を破る必要があり、流動的正義(政治と宗教)を利用しているのです。
社会の生きづらさ
この流動的正義と原始的正義を意識して別のものとわかっていればいいのですが、現代を生きる我々はそれが分かりません。
流動的正義は移ろいゆく正義ですが、子供の頃からそれが正しいと教育されているためにそれ以外の考え方ができません。例えば皆さんは以下のことを真実だと思っていませんか?
・遅刻するのは悪いことだ
・時給という概念を当然だと思っている
・人権という概念
・東大を卒業した人の方が中卒の人よりも知能が高い(学歴が人間の能力を表してる)
・仕事ができない人は人間としての能力が低い
これらは全ての時代や国で通用する絶対的な真実(絶対的真実)ではなく、現代社会という物語の中でだけ真実になる相対的な真実(相対的真実)です。流動的正義は現代社会の中でおりなされる物語の中の相対的真実の一種に過ぎないのです。
流動的正義にもとづいて「あいつは仕事ができない」と悪口を言うことは許されません。なぜなら、原始的正義に反く行為だからです。確かに現代社会では「仕事をできない人は人間としての能力が低い」という常識がまかり通っていますが、それを理由に人を傷つけていいわけではありません。
なぜ、悪気なく人を傷つけてしまうのか?
現代人は流動的正義と原始的正義の区別がつきません。そのために流動的正義を利用して私利私欲を貪る行為が横行しています。これを卑怯な正義とよびます。
原始的正義に背かない言い換え
親が子供に「ちゃんと勉強しないとろくな大人になれないよ」と言う行為は卑怯な正義の代表です。欲望にちゃんとむきあい、原始的正義に背かない言い方に変えてみます。「あなたが勉強していい学校や会社に行ってくれると、私の社会的立場が上がるのよ。ご近所や親戚にも自慢できるから、頑張ってね。」と言うべきです。
生きやすい社会のために
全ての日本人が原始的正義と流動的正義を区別できるようになってほしいです。その方が、生きやすい社会になると思います。
まとめ
人間の行動原理には「欲望」と「正義」が同時に存在します。どちらも生存に必要な気持ち(情動)です。おそらく動物にもある気持ち(情動)でしょう。「正義」はさらに二つに分割されます。地域、時代、組織などによって移ろう「流動的正義」と絶対普遍に存在する「原始的正義」です。自分がどのような情動により行動しているかしっかりと見つめることが必要です。