なぜ、現代の若者はベテランを非難するのか?

こんにちは薬剤師の赤羽です。最近「老害」という言葉をよく耳にします。これは若手社員がベテランを貶す目的で使われる言葉です。なぜ若者たちはベテランを嫌うのでしょうか?その理由は過剰な能力主義のせいです。過剰な能力主義の呪いは「老害」といって攻撃される人たちのみならず、攻撃する本人達さえ苦しませる危険な思想です。さらにこの考え方をすることで日本社会が良くなるならまだしも、世代や学歴などの属性による分断をより深くして社会を機能不全に導きます。損得勘定の面から見ても日本社会に良いことではありません。

過剰な能力主義の呪い

この世界で生きていくために大切な3つの要素は「能力」、「人脈」、「人格」です。ここでいう「能力」はキャリア、資格、学歴などのことです。)みなさんはどの要素が大事だと思いますか?40代くらいまでの若い世代では「能力」こそが大事で「人脈」、「人格」に頼ることは恥ずかしいことだと考える方が多いのかもしれません。先日、岸田首相の息子さんが秘書官に抜擢されましたが、それは世襲だといってバッシングの対象になりました(1)。みなさんはどう思いましたか?世襲に対しての反感はさまざまな理由が考えられますが「能力主義」が最大の要因です。政府のポストは全て「能力」で選ばれるべきであり、「人脈」「人格」で選ばれることが許せないのです。

教育により作られた能力主義

若い世代が能力主義に傾倒しているのは教育が原因です。若い世代が受けた教育はテストで評価され、1点単位で順位が決まります。1点でも相手より高いことが大事です。受験でも「人格」「人脈」が評価されることはなく大事なのは「どれだけ点数が高いか?」の一点です。このようなシステムでは「能力主義」になることは当然です。このような「能力主義」というイデオロギーを国民に植え付けたのはその当時の教育システムを考えた大人達です。

能力主義が必要な理由

教育とは突き詰めて考えれば洗脳です。その時代に必要な思想で子供達を洗脳します。子供はもともと各家庭の財産としてそれぞれが必要な教育を施してきました。しかし明治以降、政府の必要に応じて国家が家庭から教育の権利を剥奪したのです。明治政府は海外列強と互角に戦えるように富国強兵をおこなう必要がありました。兵隊と工員が必要だったのです。集団行動、識字、計算ができることを重要視して教育制度が設計されました。昭和の時代になり高度経済成長を支えるため、能力主義に拍車がかかったものと思われます。高度経済成長を支えたのは能力主義で洗脳された「企業戦士」でした。

学校と実社会のギャップに苦しむ若い人たち

子供達は学校で「能力主義」のイデオロギーを叩き込まれます。この世界で必要なのは「能力」であり「人格」、「人脈」については軽視されています。でも、実社会で評価されるのは「人格」、「人脈」です。自分の立場に立って考えてみてほしいのですが、「能力(資格、キャリア、学歴)」で同僚のことを評価していますか?それよりも「人格」、「人脈」の方を評価しているはずです。「能力(資格、キャリア、学歴)」を誇示する人を尊敬したり、好きになるひとはいないと思います。ここでギャップが生まれます。必死で受験勉強に励み、一生懸命に能力(資格、キャリア、学歴)を磨いてきたのに社会では評価されません。そのため、「能力主義」のイデオロギーを信じてきた人たちは社会に出て裏切られるのです。能力主義に偏った思想を持つ人たちは現実社会の仕組みを知り傷つきます。それで「世襲」「老害」「親の七光り」などの言葉を使って「人格」、「人脈」に優れた人を攻撃し「うさ」を晴らしているのでしょう。

人間の本性

人間は「人格」、「人脈」を重視するように本能的にプログラミングされているのだと思います。現実社会で一緒に働きたい人、近所に住んでいてほしい人、は「人格」、「人脈」に優れた人なはずです「能力(資格、キャリア、学歴)」に優れた人が職場や近所にいてもあまり得がありません。むしろ損かもしれません。なぜなら能力(資格、キャリア、学歴)は奪う力人格、人脈は与える力と言い換えることができるからです。

能力(資格、キャリア、学歴)は社会で生き抜くために必要ですが、現代の教育では異常に重視されている点が問題だと思います。学校でも家庭でも過剰な能力主義から脱却すべき時期がきたのではないでしょうか?

参考

1)日経新聞
ぼくたちは就職しなくてもいいのかもしれない(岡田斗司夫)

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